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日田祗園の曳山行事
https://w3id.org/ifcp/176
詳細情報
Type
http://www.cidoc-crm.org/cidoc-crm/E1_CRM_Entity
名称
日田祗園の曳山行事
ひたぎおんのひきやまぎょうじ
詳細
大分県西部の日田市の祗園祭の曳山行事は、毎年作り替えられるヤマと呼ぶ巨大な作り物(山鉾)が曳きまわされる行事である。 現在は、隈地区の隈町(1丁目・2丁目)・大和町、竹田地区の川原町・若宮町、豆田地区の御幸通り・上町・港町・中城町の8基と、隈地区の青壮年有志によって平成2年に製作された全高10㍍の平成山鉾1基の計9基がでる。 祗園祭を行う神社は、隈地区の隈八坂神社、豆田地区の豆田八坂神社、竹田地区の若宮神社であり、日田祇園はこの3社の祗園祭の総称である。若宮神社は若八幡とも呼ばれ、祇園社を合祀している。日田祗園は新暦7月20日過ぎの土・日曜日に開催される。 祭りの準備は「小屋入り」と呼ばれる山鉾の建造から始まり、日田祗園の2日前の木曜日には、各町内ごとに山鉾が巡行してお披露目を行う流れ曳きが行われる。また、隈地区では1週間前の日曜日に「神輿洗い」を行う。 祭礼日の昼間の山鉾巡行を「本曳き」という。隈・竹田地区では、祭りの初日、それぞれの山鉾が「町内押し」といって、各町内を巡行した後、隈地区の山鉾は隈八坂神社、竹田地区の山鉾は若宮神社前に納める。 続いて、御神幸行列に従って山鉾が巡行する。隈地区と竹田地区の山鉾は、隈八坂神社と若宮神社双方の御神幸行列に加わって巡行するが、隈八坂神社の御神幸が1日目とすると2日目は若宮神社の御神幸となり、1年ごとに御神幸日を交代する。御神幸が終わると、各山鉾ごとに地元町内などを巡行する。 夜には「晩山」を行う。山鉾の背部に垂らした「見送り」をはずし提灯を下げる。この提灯をつけた山鉾を提灯山鉾という。1日目は隈地区の平成山鉾が札の辻まで巡行する。2日目は隈地区と竹田地区の山鉾4基が札の辻に次々に走り込み、山鉾の前部を揚げて気勢を上げる。 日田祗園の山鉾は、多層人形山車の一種で曳山である。人形は歌舞伎の名場面を題材とし、地元の人形師が製作する。一部の屋形等を除いて、人形と飾りは毎年新調する。 山鉾の台車には囃子方が乗る囃子台があり、その上部に人形と屋形を設置する舞台が置かれている。山鉾の背後には見送りと呼ばれる懸幕を垂らし、台車の高欄の下部に緋羅紗【ひらしや】のミッチキ(水引)を引き回す。見送りは緋羅紗地に金糸などで鷲・虎・麒麟・鳳凰・唐獅子などの刺繍を施した華麗な懸装品で、幕末から明治期に製作されたものである。 江戸期から明治初期にかけて、山鉾はしだいに巨大化し、明治17年には高さ10.5㍍の山鉾が登場した。明治34年に日田水力電気会社が電柱を立てて架線したので、一時山鉾巡行ができなくなったが、大正13年に山鉾の高さを6㍍にして巡行を再開するようになった。平成2年、平成山鉾の新造にともなって、隈・竹田両地区の電線の高架工事が実施され、両地区の既存の四基の山鉾も全高8㍍まで大型化した。 日田祗園は、北部九州に拡がる博多うつしと呼ばれる博多祇園(舁山・飾り山)の系統をひかず、日田型祗園山鉾とも呼びうる独特な山車を建造する。この山鉾は、大分県九重町恵良、福岡県吉井町・田主丸町など日田市の周辺に伝播しており、独特な文化圏を形成している。
公開日
通例公開日
毎年7月20日過ぎの土・日曜日
詳細
現7月開催
URL
https://www.city.hita.oita.jp/soshiki/shokokankobu/kankoka/kankokikaku/gion/2548.html
重要無形民俗文化財指定情報
https://w3id.org/ifcp/176/register
発祥
Type
http://www.cidoc-crm.org/cidoc-crm/E5_Event
発祥記述
URL
https://ja.wikipedia.org/wiki/日田祇園祭
日付
2018-12-25
記入者
JapaneseA
発祥時期
寛文年間(1660年 - 1672年)頃
発祥地
名称
大分県日田市
URL
http://data.e-stat.go.jp/lod/sac/C44204-20050322
カテゴリー
https://w3id.org/ifcp/category/p6
https://w3id.org/ifcp/category/practice
被参照情報
開催情報
https://w3id.org/ifcp/176/held/2018/
https://w3id.org/ifcp/176/held/2019/