三上のずいき祭

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詳細情報

Type
http://www.cidoc-crm.org/cidoc-crm/E1_CRM_Entity
名称
三上のずいき祭
みかみのずいきまつり
詳細
 三上のずいき祭は、野洲市三上地区の氏神である御上神社の秋祭りに行われる収穫感謝の祭りである。本来は御上神社の摂社として祀られている若宮神社の祭礼であるといわれ、記録の上では若宮殿相撲御神事としてみられ、地区では単に神事(じんじ)とも呼ばれてきた。  野洲市は琵琶湖の南岸に注ぐ野洲川の三角州に位置し、古くから東山道に沿って栄えた所である。  この行事の運営は、長之屋、東、西の3つの宮座によって担われており、甘酒神事、湯立て式、ずいき刈り、オカシモリとも呼ばれるずいき神輿作り、頭渡し、ずいき神輿の奉納、芝原式などの諸行事が行われる。  これらの諸行事は、3つの宮座から選ばれた5人のトウニン(頭人)によって担われ、祭りにかかる費用もトウニンが負担する。5人のトウニンは、長之屋では上と下が一年交替で毎年1人、東と西では上と下それぞれ1人の計2人ずつ各家の当主が選ばれる。トウニンは3つの座に1軒ずつあるクモン(公文)と呼ばれる座を統括する役からトウニンを務める前々年に指名される。この指名をサジョウ(差定)といい、原則として長之屋は家順、東はトウニンを務めた当主が亡くなって17年目以降の家、西は神事帳に記された家の順に指名されることになっている。  トウニンの最も大切な役割の1つが、ずいき神輿を奉納することで、ずいき祭には5人のトウニンによって5基のずいき神輿が奉納される。また3つの座のクモンのうち、長之屋のクモンはソウクモン(惣公文)と呼ばれ、祭り当日の夜に行われる芝原式の進行の中心になり、ソウクモンが来ないと式が始められないといわれている。  諸行事のうち最初に行われるのが甘酒神事で、トウニンが御上神社に参り、甘酒、酢飯にじゃこと蓼(たで)を干して粉にしたものを混ぜたメズシ、大根を一夜漬けにしたアオヅケなどを供える。  次に行われるのが湯立て式で、この日の朝トウニンは神社から汲んできた水で、ずいき神輿を清めるための湯を沸かし、御上神社の神職が各トウニンの家をまわり神移しの式を行う。  次は祭りの前々日に行われるずいき刈りで、これはトウニンの家の分家や姻戚関係にあってオモシンルイと呼ばれる家と、隣近所で親戚付き合いをしているトナリシンルイが手伝い、トウニンの家で栽培しているずいきを刈り取って、トウニンの家に運んで神輿の胴部分まで作り上げる。  祭りの前日にはずいき神輿作りが行われ、粟、ごま、栗、柿などを飾り付けて完成させる。  完成すると、トウニンの家で手伝いに集まった人たち全員で宴会が始まる。途中でトウニンは、親戚の者1人をお供に連れて、メズシ、アオヅケ、東座ではこのほかフナズシを持ってトウワタシのためにクモンの家に向かう。  トウワタシは、各クモンの家で行われ、トウニンと翌年のトウニン、祭りの前に差定を受けた翌々年のトウニンが出席する。長之屋では上と下に属する家が決まっているが、東と西では決まっておらずトウワタシの場で上と下が決まる。東は翌々年のトウニンを務めることになった2人がクモンの用意した籤をひいて上と下を決め、西は2人のうちの年長者が上、年少者が下になることになっている。トウワタシの式は、トウニンと翌年のトウニン、翌々年のトウニンが席について行われ、最初と最後のクモンの口上以外は無言のまま執り行われる。  祭り当日は、午前中にトウニンの家から御上神社にずいき神輿が奉納される。神輿作りに使われるずいきは2年がかりで種芋から増やし育てた晩生芋で、食べることはせずに神輿作りのためにだけ栽培するものである。  ずいき神輿は神社に着くと拝殿上に並べられ、その前にトウニンが着座する。祭事は本殿前で行われ、本殿の向かって左側に祀られている若宮神社では祭りが行われることはない。祭事が終わると、ずいき神輿は拝殿から下げられ楼門の拝殿側に並べられる。昼の行事はこれで終了しトウニンたちは1度家に帰り、夕方6時過ぎに再び神社に集まってくる。  祭り当日の夜は芝原式が行われる。芝原式に参加するのはクモン、トウニン、ツカイ(使い)で、式が始まる前に社務所の一室に集まり、その後宮仕あるいは出入りと呼ばれるジョウツカイ(定使)を先頭に宮司、各座のクモン、各クモンのツカイ、トウニンが提灯を持ち一列になって楼門前に用意された芝原式の座に向かう。宮司は狩衣、ソウクモンは祭服の神主の装束、東座クモンは裃、西座クモンと各座のツカイ、トウニンは羽織袴姿である。ジョウツカイは裃を着け、芝原式の間楼門との間を何度か往復するが、このとき楼門と座の間は藁草履を履き、座の所では藁草履を脱いで裸足で動く。座は楼門前の地面にコの字型に茣蓙が敷かれたものでここに一同が着座すると式が始まる。  まず、ジョウツカイが東座クモンから書き付けを受け取ってソウクモンに渡してこれを改める。西座も同様に行い、その後各トウニンが楼門前に供えた、目を粗く編んで作った竹籠をかぶせた花びら餅が定使によってソウクモン、東座・西座のクモン、東と西のツカイの順に配られる。さらにジョウツカイが猿田彦の面をかぶり鉾を持って座の中を左回りにまわり、鉾で突く仕草をソウクモン、東座のクモン、西座のクモンの順に繰り返した後直会になる。直会は各座ごとに行われ、それぞれのツカイが給仕を務める。  最後に各トウニンが依頼した親戚の子や家の子による相撲が行われる。相撲は6~7歳の子どもの小相撲と、中学生による大相撲がそれぞれ2番ずつ行われる。いずれも組み合うのみで勝負はない。相撲が済むと芝原式も終了し着座していた人々が再び一列になって社務所に引き上げて終了する。  この行事は、秋の収穫に感謝する行事で、宮座組織を基盤とするトウニンによって祭祀が行われるとともに、この祭りのためだけに栽培される里芋の茎で作ったずいき神輿を神饌として奉納するところに特色が見られる。  この行事は、近畿地方に広く分布する宮座行事の中でも特殊な神饌を奉納する行事として注目されてきたもので、宮座による祭祀の変遷の過程を知る上で、また同種の行事の全国的な比較の観点からも重要なものである。
公開日
通例公開日
毎年10月中旬
詳細
現10月開催
URL
http://www.mikami-jinja.jp/custom.html
重要無形民俗文化財指定情報
https://w3id.org/ifcp/234/register
発祥
Type
http://www.cidoc-crm.org/cidoc-crm/E5_Event
発祥記述
URL
http://www.mikami-jinja.jp/custom.html
日付
記入者
近江富士三上山御上神社
発祥時期
永禄4年(1561年)
発祥地
名称
滋賀県野洲市三上8
URL
http://data.e-stat.go.jp/lod/sac/C25210-20100730
カテゴリー
https://w3id.org/ifcp/category/p6
https://w3id.org/ifcp/category/practice